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空薬 1

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「この目薬は"空薬"っていってね。空に似た色のものだけが透けて見えるんだよ」

上海の裏通り。
古い雑居ビルにはエレベーターすらもなく、埃まみれの狭い階段は、壁も天井も鼠色に汚れて区別がつかない。
黴臭さを堪えながらゆっくりと4階まで上がると、このフロアだけが狭く、まるで屋根裏のように天井も低いことが解った。
一つだけあるドアをノックしようとしたとき、「ごほごほ・・」と老人の咳込む音が壁の向こうから伝わってきて、思わず動きを止める。
「请进(おはいり)」
足音が聞こえたのか。

ドアノブに手をかける。
「打扰(失礼します)」
小さな声で挨拶をして、ゆっくりと回す。

沈香の強い匂いがドアの隙間から立ち昇ってくる。
店の中は暗く、しかし、目が慣れるとうっすらと様子がわかってくる。

黒い中国服を着た老女がソファに深く腰掛けていた。
まるで枯木のような細い手が、しっかりと杖を握り締めている。

「日本人。話は聞いているよ」
「惚れ薬。媚薬のようなもんだけど。薬は、封印を解いたら2時間くらいしか効き目が持たない。気をつけて」
小さな香水瓶のようなガラスの入れ物が、小さな丸いテーブルの上に乗っていた。
「少し苦いよ。お酒か何かに一滴混ぜるといい。効果は十分間だ。その間に、できるだけ相手に自分の顔を見てもらうんだ。見る時間が長いほど、本人も気が付かないうちに、目の前のやつに惚れていくんだよ」

「どうもありがとう。助かります」
頭を下げた。
「謝礼はいかがしたら宜しいでしょうか」
「九万元」
約十八万円。噂で聞いていた相場通りだった。女を一人落とせるチャンスだと思えば高くは無い。少なくとも、友人は、彼を散々馬鹿にしていた女上司を一晩で口説き落とし、愛人の位置に据えたのだ。もっとも、彼は一人、失敗している。
「十分間も親しくない女の注目を引くのは簡単なことじゃない」
彼は自嘲気味に教えてくれた。確かにそうだ。しかし、可能性は五分五分だと言う。今夜、ホテルに戻ってゆっくり作戦を考えればいい。

テーブルに金を置く。
老婆がじっくりと勘定している間、ようやく部屋を見回す余裕が出来た。
絨毯敷きの、西洋風の部屋である。
天井まで届く作り付けの書棚が一面を全て覆っている。

窓は分厚いカーテンで床まで覆われ、陽の光が差し込むことは無い。

「眩しいのが嫌いなんだ」
老婆が呟く。
思わず振り向いた。

「驚くほどのことじゃないよ。おまえさんのような雛鳥の心くらい読めずに、どうして惚れ薬など作れると思う」
老婆はゆっくりと立ち上がった。細いガラスの棒を手にすると、薬瓶に差し込む。
引き上げたガラスの棒についた水滴を一滴、また一滴、小指の先ほどの大きさの小瓶に落としていく。
一滴。そして、もう一滴。
容器に4滴分の薬を落とし、ロウ引きされた紙で封をする。
瓶の底に、かろうじて液体があるのが見て取れる。

ろうそくの明かりがゆらり、と揺れ、その光が揺れていると思ったのは、実は自分の頭がゆらゆらと揺れているのだと気が付いた。
「おや、顔色が悪いね」
老婆が心配そうな表情を見せる。
「そこに、お座り」

急に喉が狭くなり、息苦しく感じる。二月。暖房もないのに、冷たい汗が背中を伝う。
貧血か?こんな時に。

勧められるまま、ソファに自分の体重を預ける。
老婆が液体の入ったグラスを差し出す。
「水だよ」
匂いはしなかったが、壁一面を埋め尽くす禍々しい薬瓶を見ていると、口をつけるのはためらわれた。
「水道水じゃない。湧水だよ。飲むと楽になる」
逃げられない気がして、コップを手にとり、一口、飲んだ。確かに、氷と水。それ以外の味は無い。
しかし、楽にはなった。停滞していた血液がようやく、巡り始めた気がする。

日の差さない部屋であるが、部屋のあちこちに、仄かに照らす光が置かれている。
ろうそくだと思ったのは、まるでガス灯のような青い炎であった。
大きな瓶の中に飾られた鬼灯であった。形こそ見慣れたほおずきであったが、色が不思議に青い。サファイアの薄い被膜に、ラピスラズリのような深く濃い葉脈がくっきりと見えた。

「これはね、空薬を作っているんだ。東の果ての島のお客人は、変わった依頼がどうも多いね」
「これを瞼に一滴、塗ってやるとね。空の色、つまりブルーの色が抜けてくるんだよ。船乗りのための道具でね。浅い海で座礁するのを防ぐんだ。海の色が抜けて、まるで空中を飛んでいるみたいに、魚や岩や、沈んだ船なんかがくっきりと見えるんだよ」

「最後にこの薬を作ったのは、八十年近く前だ。海中をよく見通せるレーダーが出来てしまえば、こういう薬は要らなくなるからね」
青いほおずきを一粒、枝から外し、薄い被膜を剥ぐと、丸い果実が現れる。薄い膜を除いただけで、サファイアのような光は輝きを増した。
老婆は果実を摘み取り、長い爪で果実を突き刺した。弾ける音が僅かに聞こえた。
エメラルドブルーに輝く水滴が降りてくるのだろうと思えたが、皺だらけの指先で握り潰した果肉から溢れ出てきたのは、どす黒く、まるで血のような粘り気のあるものだった。小さな乳鉢の底にたまっていくそれは、限りなく黒に近い赤で、俺は思わず息を飲んだ。
ぞっとした。
老婆が、のどの奥でくっくっくっと、笑うようなひきつったような音を立てる。
「さて、手伝っておくれ。難しいことじゃない。暖炉の上にある皿を取ってほしいんだよ。手が汚れちまったからね」
恐怖と好奇心がせめぎ合う。結局、指示されたとおり暖炉の上を覗き込むと、丸い窪みがいくつもある絵の具のパレットのような皿が一つ置いてあった。
「そうそう、それだよ。こぼれないように。慌てないで。」
小さなテーブルに戻ると、乳鉢の隣にパレットを置いた。
「これは松脂。これは雷魚の鱗。ウイキョウ。アニス。それから、ウサギの尻尾。」
怪しげなものを爪の先で取り出し、乳鉢に加えてはゆっくりと摺り、混ぜ合わせる。
一回り大きな銀のボウルには、黄色くねっとりした塊が入っている。
「蜜蝋だよ。これに、薬を混ぜ込んで膏薬を作るのさ」
老婆はいつの間にか立ち上がっている。まるで料理をするような手つきで、塊をこね、薬を配合していく。まるでパン職人のような見事な手さばきに見入っていると、今までのゆっくりとした動きが嘘だったかのように、素早く指先を俺の両瞼に塗り付けた。
「うわっ」
思わず目を閉じて身体を背けた。
「静かにおし」
「久しぶりに、人間のお客が来たんだよ。薬が上手く効くかどうか、試させておくれ」
「そんな・・聞いてませんよ!」
「怯えているね。大丈夫だよ。協力してもらうんだから、あんたには悪い思いはさせない。それどころか、いいものを見せてあげよう。安心おし」

老婆は部屋の奥のドアに向かって声をかける。
「进入(お客だ。入るよ)」
ドアの向こうから、女の声が返ってきた。
「请(どうぞ)」

「向こうの部屋にいるのは、私の弟子だよ。さあ、部屋に入って。そして、瞳に映ったものを教えておくれ」
何が何だかわからない。俺は今夜のフライトで成田に帰るのだ。しかし、好奇心に逆らえない。
俺は、ドアノブに手をかけ、そして回した。

衣装:かわうそ.com

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テーマ:SM・拷問・調教・凌辱  - ジャンル:アダルト

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No title

空薬 を想わせるような、妖精が舞う one shot。そのまま御伽の国へ誘われそうで 暫し惹き込まれてしまいました。
私の中で、4つの御伽噺がぐるぐる。
素敵なえねるぎーを週末の朝にありがとうございます。

佳音さん

わー!ありがとうございます!
実際にSMするまで、長いこと妄想の世界で遊んでいたので(佳音さんは、どうでしたか?)そういうのもブログに吐き出せて自己満足です(笑)他にも、誘拐されていじめられたりとか、リアルだと恐ろしい犯罪なのに、妄想では発情してしまうんですよねえ・・困った困った。
プロフィール

鼠子

Author:鼠子
音楽と東京を謳歌する変な人。ルーツはSMだけどゼンタイ、W&Mなど、皮膚感覚とアングラを愛してます。趣味は18禁なドキュメンタリーを撮影すること。blogでは過去と現在、現実と非現実、日常と非日常のコラージュをお届け中。のんびりふらふら放浪してます。ブログのご感想など、メールでもお待ちしております。こちらからお願いします。
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